シャンソン講座へのおさそい
志咲なおみの   今日この頃
 「 2代目アシスタント  」  07.7月

 「 私はどうなるの… 」  06.7月

 「 06年シャンソンフォリー、こぼれ話 」  06.4月

 「 お菓子の先生 」  05.1月

 「 おデート 」  04.12月

 「 オリンピック 」  04.9月

 「 ハルウララ 」  04.4月

 「 ミモザと桜 」  04.4月

 「 あぁパリに行きたかった! 」  04.3月

 「 丈夫、なのか… 」  04.2月

 「これ買ったの」  03.3月

 
  「 2代目アシスタント 」  07.7月

 7年間色々としてくれたアシスタントRが、他県に越して1年経った。あれから仕方なく自分でやってはいるが、フゥ〜…。
 Rはお墓参りの運転手もしてくれていた。夫はもう車に乗っての外出しかしないから、お墓参りに行けないことを気にしていた。困っていた私はフト  ひらめいて旧友Yに申し出たてみたら、快諾してくれた!。よく考えてみるとYは適任だった。もっと早く思いつけばよかった。お陰でやっと実行でき、  「これからお墓参りはまかせて」と言ってくれている。
――Yは小学校来の長い長いつき合い、頭のいい人で色々こなしていて行動的な人だが、仕事もあり、それに月の3分の1は他県で生活している。
 その日Yの快適な運転の道すがら、「いんふぉめぃしょん」が出来上がる時だったので、最終作業を手伝ってもらえないかと言ってみた。その数日後、Yはテキパキとやってくれた。Yは初期からの後援会員で「いんふぉめぃしょん」でアシスタントが居なくなったのを知っている。作業しながら 「アシスタント“ント”くらい協力できたかしら」って。そりゃあもう!。
  私は今後“ント様”を頼りにしたい!。忙しい人だけれど、でもお願い手伝ってー。
 
  「 私はどうなるの… 」  06.7月

  ここ年々、用事が増える一方だ。
 アシスタントRに来てもらうようになって、もう7年になる。初めは週1だったが、今は3日に1度くらいは来てもらっている。
 Rは、私の雑務を色々と、家の中のことも手伝ってもらっている。盆暮れの品物の発送の手伝い、抽選プレゼント品の相談、夫が担当していたお風呂の掃除、3階のゴムの木の水やりも…etc.。私が夜出かける時は、夕食作りを手伝い、時には私の指示に従って全部作ってもらうこともある。またイベントの時はスタッフ役や付き人もしてもらう。
 2人で書類や物を片づけてはいるが、そのはかどりより、加速度を増して増える書類や物。「きれいさっぱり片づくことは?」「…ないんじゃない」とため息の2人。
 そして私の「王様の耳はロバの耳」の“ 洞穴”の役目も。つまり色々な情報や出来事を、それに対する私の思いや、愚痴も、聞く。そこで私はストレスが減る、という便秘薬のような役割もしている。そしてとても大きなことは、うちの家族も猫も、隣の姉も、皆完全に家族同然の感覚でいるのだ。
  ときどき電話で訊く。「ピンクのアンサンブルのセーター、見あたらないの」、R「ドコソコの3番目のひきだし、多分右のほう」。夫は掃除機の袋の替えを探して、みつからなくて「Rに電話で訊いて」。R「それはドコソコの場所に変えたはず」、といった具合。
もはや私は、心身共にRが居なくては“やっていけなーい”状況なのだ。 あーあぁそれなのに…!(と書いて、泣きそうな私)。Rは8月に他県へ越  してしまうのだぁ〜。いつか来るとは解っていたこと、でも考えないようにしてきた私。それが遂に遂に…!。
 「私の代わりはいますよ」、特に優秀に役立った訳ではないんだからと謙虚な気持ちなのかもしれない。でもこんなに悲しんで困っている私にはノーテンキ的発言にも思えて、「居ないっちゅうに!!」(何弁だ?)って大声で何度も言う。夫も行く末を想ってすごく心を痛めている。
 ずーっと忙しかったから、「この問題は、7月2日から考えよう…」と決めていた。その日が来た。今パソコンの横のゴムの木が悲しそうにつぶやいている「あーこれから生きていけない。わたしを連れてって…」。私はもっともっと悲しいため息と涙で、「あ〜〜私はどうなるの………」。
 
  「 06年シャンソンフォリー、こぼれ話 」  06.4月

  キャリーバッグをガラガラ引っ張ってハアハア言いながらの楽屋入り。コンサートの楽屋入りは早いのだが、今回2部の人は遅めでよかったから、助かったぁ。
  まず衣裳を取り出してかける――。譜面をスタッフに渡す――。それから色々な物を取り出して自分の鏡の前に並べる――。私は、楽屋着に着替え、スリッパを履く――。自分の順番までに、とりあえずのお化粧と髪を整え(本格的にはリハーサル後にばっちりやる)――、衣裳に着替える――。
  「シャンソンフォリー」などのリハーサルでは、各人の歌の後でオープニングやフィナーレの練習がある。オープニングの並びがないこともあるが今回はあって、それぞれ何回も練習した。それぞれの並び順はプリントを渡されているが、舞台袖で舞台監督が名前を呼び上げて、並ぶ。まず、列ごとに舞台に出て行き…をして、袖に戻る。そして、緞帳が閉まり、音楽が鳴って本番通りにをする。特別出演の方を迎えるとか、お辞儀をするとか、手拍子をするとか、手を振る…等々と。それをもう1回とか2回とか。
  今年の楽屋弁当「桜弁当」を、私は出番まで時間があるからとゆっくりと食べた。が、自分の歌までは間があるのだが、あっ!オープニングに並ぶんだったと気がつき、慌ててお化粧と髪を整え、オープニング用のドレスと靴とアクセサリーを付けて、マニキュアを塗る。
  舞台袖に急いで向かったら、ドレスに静電気が起こって…「あっエレガードしなかった、持ってきたのに。あぁセ・セ・セイデンキが」とつぶやいたら、  演出家が「もうそのままで」って。「スカート部分がまとわりつきそう…。ソロリソロリと歩こう」、私は静電気を気にしながら列に並んだ。
  と、下手側に並んだ我々「お辞儀するの?」「しないの?」「どっちだった?」「どっかなぁ」と“お辞儀問題”でパニクった。歩き始める直前に「しないん  だって」という情報により、下手側の皆は「しなくていいのね」と言いながら舞台へ出て行った――私は“静電気問題”を忘れ、サッサカ歩いたっけ。舞台で笑顔をしながら、お辞儀はしなくていい…と。でもあれ!、上手側の人達はお辞儀してる!。下手袖に入った我々は「向こうの人達、お辞儀したね!」とガヤガヤ。オープニングは、お客様にはバラバラな状態をお見せして、演出家は「…もう!」と思ったことだろう。
  それから出番がずっと先の私は、「さて」と気合いを入れて、お化粧を更に濃くしてつけまつ毛もつけ、髪を膨らましていった。
 
  「 お菓子の先生 」   05・1月

 1月の某日。Hさんから「遊びに行っていいですか?、お菓子持って行くけど」という連絡をもらった。「逢いたいわー!。わぁお菓子!」と私。
 彼女は、私のカルチャー教室に6年もいた生徒。「勉強会」にも何度も出て、きれいなフランス語もまじえて唄った。生徒仲間からも親しまれた人だったが、転勤で大阪に行ってしまった。定期的な食事会には、いつも皆にお土産に美味しいお菓子を配ってくれた。というのは彼女は、お菓子作りのプロを育てる“お菓子の大先生”で、かつてフランスでも3年間教えた人。そして、日本テレビの人気番組「どっちの料理ショー」のお菓子編の時の常出演者、NHK「今日の料理」のお菓子編にも何度も登場、という人だ。テキパキさと手際よさはすごーく、お菓子はとびきり美味しいのだ。 
 一昨年の私のディナーショーには大阪から来てくれて、私も仲間達も喜ばせた。あれ以来のことだ。
 美味しいお菓子をたずさえて来訪したHさん。積もる話に花が咲き、一緒に食事することにした。在庫の都合で「鍋物でいい?。手伝ってね」「はいはい」。それから手際よく手伝ってくれた。「こんな切り方でいい?」「もう少し細く切って」「はーい」、「ここの場所に盛りつけて。そっちはここへね」「はいはい」。などと、彼女をこき使ってしまった私。「あれー私、プロにむかって…。でも快感だわぁ」「ウフフ」と彼女は笑って、「嫁姑の問題って、こういうの素直に聞いたほうがいいんだよね…」とつぶやいていた。
 その時は出来合いのつゆを使ったのに「うん美味しい」と食べてくれた。私は、それを恥じることも忘れ、プロをこき使ってしまった快感が…!ウフフだった。
 
  「 おデート 」  04・12月

 某日。私には久し振りのデート!。「ああ知ってる」と言う人が多い、某局のテレビ常登場のI氏とである。仲立ちした女性と3人で逢うことになった。テレビでいつも観るI氏は、とっても感じのよい雰囲気で(私が一方的にファン)、でも実物はどんなかなぁ…?、ワクワク。と、私にしては早い時間の出かけなので、2日前から就寝時間を調節(!)。
 待ち合わせは渋谷と決まり、具体的な場所の連絡がきたら“ハチ公のところ”だって!。思わず笑っちゃった。有名でない私はいいけど、世間に顔を知られているI氏はいいのかな…。かくしてテレビでお馴染みの人とシャンソン歌手と+1の“おデート”は、ハチ公前でスタートすることになった。さりげない洋服を吟味して選び、上気した顔でハチ公前に向かうと、I氏がハチ公の下の石に座っていた!、ニコニコとした表情で。
 想像以上におだやかな方だった。笑顔がすばらしく優しい。色々と丁寧に話して下さった。今後私はあんな風に良い笑顔をして生きてゆこう…と心に思った“おデート”であった。
 
  「 オリンピック 」  04・9月

 異例の暑い夏に、夏恒例ではあるが高校野球の熱戦、これが少し霞んでしまったくらいの、アテネ・オリンピックの日本選手の熱ーい快挙。と、超ホットづくめな夏であった。
 私は完璧な夜型人間。あまりに非常識的な生活時間なので、言い訳をカッコつけて言う「私“ヨーロッパ時間”で生きてるの」。だからヨーロッパで行なわれるオリンピックは、生中継を鑑賞する。そう私の非常識生活パターンは、ヨーロッパでのオリンピックを観るにためなんです(?!)。
 LIVEを観るのと、ハイライトを観るのとでは、実際にそこを訪れるのと、絵葉書くらいの違いがある。つまり臨場感が。例えばマラソンも、あの長い時間の様子こそがあのレースそのものなのだもの。
 前著『出逢いにトキメキ』Aに「観ることに意義がある」を書いたが、“オリンピック”は私にはさまざまイロイロと思わせること、なのだ。
 
  「 ハルウララ 」  04.4月

 春うららかな季節に、「ハルウララ」のこと。
  何度走っても一度も勝てない競走馬、として話題沸騰のハルウララ。一度も勝てない(弱い)馬なのに、あの天才騎士の武豊が乗るとあって、3月22日の高知競馬は入場制限、日本中が注目し、首相も語り、とドえらい人気。このことがアメリカでも報道されたとか。でその結果は、武豊にしても勝てなかったのであるが。
 私は半年ほど前のNHKのドキュメント番組でよく知っていた。その番組は、100回目に挑戦する、子供までも「ウララちゃーん、頑張ってー」という声援にも、“又”負けたのだが、ハルウララを大事に管理している調教師の話だった。
 負けても負けても一生懸命走る、ということが人々の人気となったのだ。その姿に、人生の中で「あーダメだぁ」とめげそうになっている人は、勝者でなくても投げ出さないで頑張ろう…、と勇気づけられる。
 でも私は、ウララちゃんの頑張りもだが、厩舎の調教師が立派だと思う。普通なら、何十連敗もしたら、競馬ウマとしての生命を終らせるのではないだろうか。それが100回以上もレース出場をさせ続けている。勝利の稼ぎもない馬に、飼育の手間と費用をかけているのだから。

 SMAPの大ヒットしている歌、去年紅白に唄われた「世界に1つだけの花」。“ナンバーワンにならなくていい。自分の花を咲かせることに一生懸命になればいい”。
 これも、べつな意味だが、自分自身にエールを送る歌だ。

 
  「 ミモザと桜 」  04.4月

 フランス旅行の(初めて行った)プロヴァンスでは、春先に咲き誇るというミモザの季節はとうに終っていた。その黄色の小玉が房状に咲く、玄関脇のミモザの花が、終ろうとしている。
 30年も前に伊豆熱川の知人の別荘に泊まった時、近所の見事な大木のミモザの花が真っ盛りで、すごく感動した。そうかあれは3月だったんだ。
  この花を見ると、私は「九重」を連想する。黄色の小さな粒「九重」は、祖母が故郷福島へ行った際のお土産などで、子供の頃から馴染のもの(本当は仙台のものだそうだ)。ほのかにユズの香りがするそれをお湯に入れると、かすかな音を発して浮き上がってくる。「九重」とはそうして飲むもの。他の香りと色のもあるが、ミモザ色のが元祖だ!。

  3月の春到来のトキメキは、自分の誕生月ということも重なってか、その思いは深い。
  冬の終盤に真っ先に咲く、梅。あー春が間近い…!。木瓜も咲き始め、純白の肉厚な白木蓮が咲き、早くも柳が芽吹き始める。それからは、野に、山に、街に、庭に、ベランダに、植物が芽吹き、花々が咲く。そして花の競演となる。
  その筆頭は、桜。人々は桜の開花を楽しみに待ち望み、桜を愛でる。葉の茂った桜の樹は他の樹にまぎれているが、花の季節になると「あそこにも…、むこうにも…」とその存在を確認する。夜に花に感激するものは少ないのに、夜桜は妖しいまでに美しい。明るい陽射しの中で見る淡ーい桜色、だが夜桜は雪のよう。しかし、短い花の寿命が、雨や風で更に短くもなる。
  “春爛漫”の語にふさわしい桜。入学式の時季の花。お花見の席を確保するのは新入社員の初仕事の一つだとか。それが一昨年は3月半ばにもう咲いてしまった。卒業式の時季に。新入社員はまだ入ってない時期だから、席取りは古社員がしたのであろう。3月末にはなんともう葉桜になった。
  今年も暖冬だったから、開花情報は3月半ばとか。4月を代表する桜だったのに、地球の温暖化で、“桜は3月の花”となりつつある。――でも「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉に反したお彼岸後の寒さにより、開こうとしていた花はカタマり、3月末の私のお誕生日に、満開宣言がされた。

 
  「 あぁパリに行きたかった! 」  04.3月

 このところほとんど夢を見ない。それなのに、“イヤな夢”を続いて見た。そういう時は、大体体調が悪い時だ。今回も高熱の出る直前だったもの。
  1つめは、家が火事の夢。――火事の夢は“いい夢”とされているが、その説は慰め的なもののような気がする。
  2つめは、おかしな夢だった。シャンソン協会から「ドレスを着て集まるように」と言われ、慌ててとにかくドレスを着て行ったら、「いいドレスを着てきた人は、パリに行ける」(!)というではないか。そして私は…「ダメ」と言われたのだ。あぁパリに行きたかったのに…と落胆したところで、目が覚めた。
 常々衣裳は、プロ歌手の看板でもあり、センスある衣裳はファンを喜ばせる、と思って吟味しているのに。…あぁパリに行きたかった!、ヘンなの着てったからなぁ…。
 
  「 丈夫、なのか… 」  04.2月

   昔、私は丈夫じゃなかった。周囲も友人からも「しょっちゅう調子が悪いと言っている」と評判だった。そう、頭痛持ちで、歯茎はよく腫れ、喉はすぐ痛くなり、低血圧、貧血気味、冷え性、等と。「私、丈夫じゃないの…」と力無く言っていた私。

 それが今では、――体力はあまりないのだが――、病気らしい病気はしない。時々胃の調子が悪くなるけれど、風邪もここ何年ずっとひいていない。あるママは「志咲さんは病気で休むことないわねー」。そうお店出演も、ここ何年も休んだことがない。カルチャーもまだ一度も病欠していないから「先生は風邪もひかず、丈夫ですねー」。だから“元気印”なんて言われると、昔あんなに憧れた言葉を言われて感無量だ。事実、頭  痛持ちは治ったし、低血圧、貧血、冷え性も、全部無くなった!。歌手活動を続けるのは苛酷だから、きっと心身共に鍛えられたんだ。或いは、更年期を過ぎてそれら全部が改善された…?。――私は今月又1つ齢を重ねるけれど、齢を重ねると“いいこと”もあるんですね。

 歌手やミュージシャンは、昔はベテランも新人でも仕事が多くあったから、仕事納めを終えると「身の周りの普段あまりできないこともして、あとはのんびりしよう…」と思うと、1年間の疲れがどっと出るのかダウンして、寝込んだりして年末年始を過ごし、仕事始めに治る、ということがよくあった。「折角の休み期間なのに、悔しい!」。でも“アナを開けてはいけない”仕事柄、「私達って律儀にできてるんだ」と言い合ったものだ。けれど昨今は皆仕事が少なくなり、“年末年始はダウン”の話はあまり聞かない。私も、体調向上も相まって、ここずっとそういうこともなくなった。

 その私が珍しく高熱を出した。
 思えば、大晦日にも、お正月が終る頃も、「なんだか疲れたなぁ」と思っていた。あれは1月9日の夜、ベッドに入ったらすごくゾクゾクして震えが止らない、眠れない。明け方に暑くてたまらなくなったので、熱を計ったら8度5分!。それからの1週間、38度前後を行ったり来たりしていた。
 夜中にわぁーっと汗をかき、ネマキも布団もぐっしょりで「私、オネショしちゃったみたい…」と言うと、夫は調べて「大丈夫、してないよ」(…いやん真面目に答えないでよ)。ネマキをたびたび替え、ぐっしょり布団は布団乾燥機で乾かしていた。もしやこの体温計が正しくないかと、家中の4本を代わる代わる脇の下に入れていたので、左の腕をつぼめる癖がついてしまった。
 風邪の症状はまったくないのに、こんな高熱が出るなんて何かヘンな病気なのかと、4日目に何十年ぶりに病院に行った。自主的に「行く」と言ったから家族は驚いた。

 初診なので用紙に書き込む、入院したこと「なし」、薬のアレルギー「なし」、その他も「なし」「なし」。診察した医師は「風邪のようではないですね。では血液検査をしましょう」。そして抗生物質などを処方された。
 その1週間の間に、アシスタントが来た。ネマキにジャケットを着て椅子にデンと座りアレコレ指示する私に、「そんなに熱があるわりには平気ねぇ。熱に強いのかしら」って。夕食の準備ができるかと心配した彼女に「今日は久しぶりにトンカツにする予定だった」と言うと、「8度もある人がカツを揚げるのは無理じゃない?」と言ってくれたが、結局予定通りカツ3枚揚げ、他にも色々作り、私はカツをたいらげた。
 その間、所属会の新年会もあり、熱冷ましを飲んで出席した。熱を心配してくれた友人達と、お刺身やお寿司をたんと食べた。さすがに二次会には行かなかったけれど。またその間、カルチャーの今年一回目があった。前日熱のことを知ったカルチャーから「休んでもいい。無理しないで」と言われたけれど、「みんなが待っているから、行きます!」と、熱冷ましを飲んで行った。授業途中で、「今度は皆様だけで唄いましょう。…私は熱を計ろう」と、みんなが唄っている間に脇の下に体温計を入れる。唄い終った皆「熱、どうでした?」「…今は7度5分だわ」、なんていう授業をした。

 検査結果を聞きに行ったのは1週間目の熱が下がった日だった。でも、きっとどこかヘンなことになっている…と恐る恐る結果を聞くと、「検査結果はとてもいいんですよね」、へぇー?!。白血球、赤血球、血小板等々も、血糖値、コレステロール、中性脂肪等々も、いい数値なのだ。ついでに訊く「血は薄いんですか?」「いえ濃いほうです」、あら!。ばい菌もウィルスも入った形跡がないとか。…じゃあ何だったの?と思っていたら、「念のためインフルエンザの検査もしてみましょう」。結果はA型もB型もまったくなしだった。「熱も下がったようなので、残念ながらとりあえず判りません」と申しわけなさそうに言われた。「ストレスで、っていうこともありますか?」「それはありえます」。

  保健衛生の仕事をしている人が言うには「高熱が出るということは、体力があるということですよ」。体力が弱ったお年寄りなどは肺炎になっても高熱が出ないそうだ。あらー、体力はないと思っていたのに。
 結局原因は判らずじまいだった。判ったことは、この検査では健康体だということ。――そういえば、歌手としては致命的な、かねがね恐怖の花粉症に一昨年なりかかったけれど、その年だけだったみたい。
 原因はストレスかも…と自己診断した。時々の胃潰瘍的な胃の不調もそうだが、歌手生活に伴うストレスに、家族に関するストレスも加わっている。高齢の夫のサポート、見かけは若くても老人状況がある母。隣の姉もこのところ精神的に高揚していて心配だ。
 多分そんなこんなの疲れが出たのだろう。

 私の整える食事が家族の健康を支えているから、献立とその味にも日々努力しているが、さまざまな食材も取り入れようと気を配っている。“食は体の基”だから。

          

 「これ買ったの」 03.3月

  最近買ったものの話を、2つ。
 その1――。冬にロングコートを買った。中に薄い棉入りで、とにかくすごく軽く着心地がいい。袖と丈が当然少し長いので、近所の洋服直し屋さんで直してもらったが、持って行ったのも、取りにも、アシスタントに行ってもらった。コートを紙袋に入れながら「これ軽いのね」と彼女は言い、出来上がったのを取って帰った時「これ軽くていいですね、って言われた」そうだ。
  中2の親しいY子ちゃんに「これ買ったの。どう?」と言うと、一言「カメムシ色だね」(!)。そうか。…カメムシって、あの臭い便所虫のことよね。でもカメムシはあまりじっと見たことがなく、むしろコガネムシ色の気がする。
  春になりたてはけっこう寒い日が多い。だから私は3月の外出にも、カメかコガネのムシ色を着る。
  その2――。
  ガラガラと引くキャリーバッグを、いいのを見つけて買った。立川のカルチャーは昼と夜の教室の間に1時間半あって、何か食べたりするのだが、その日は食堂街の一角でバーゲンをやっていた。そこに、探していたようなあまり大きくないのがあった、真っ赤で、3900円!。
  それをガラガラ引いて事務所に帰って、「これ今買ってきたの。3900円で」とH社長と担当者Aさんに見せた。二人は「今?」と内部も見ながら、「終るまでここに置いといたら」と言われたけれど、「みんなに見せるから」とガラガラと教室へ行った。
  みんなに見せたら「先生にピッタリ」「赤の色がいい」「3900円は安い」などと言われ、何度も引っ張って歩いた。

  2日後、H社長からメールが届いた。「赤くて可愛いバッグ。あのあと教室を覗いたAが、みなさんに披露していた、と言ってました」って。教室の中をガラガラ引っ張って歩き回って見せてたの、Aさん見たのね。
  H社長には「これを引っ張って、どこかのんびり旅に出かけたくなっています」と返信した。でも、コンサートの時の荷物を入れるキャリーバッグを探していたのだ。大きく重い荷物をかついだりぶらさげたりして、行くだけで疲れてしまうので、近頃は隣の姉のを毎回借りていた。これからは、真っ赤のをガラガラと引っ張ってコンサートに出かける。